14.大竹邸記念館 | QR Translator



14.大竹邸記念館


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【大竹貫一先生と大竹邸記念館】
大竹貫一先生は万延元年(1860年)、中之島の大庄屋の6男として生まれました。少年時代に漢学を学んだのち、14歳の時、新潟英語学校に入学し、周囲を川に囲まれ、洪水が頻発していた中之島を救済するための知識・技術を得るため、土木工学を専攻しました。
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明治13年(1880年)、村会議員に当選し政治家としての道を歩き始め、その後県会議員を経て、明治27年(1894年)には衆議院議員に初当選して以降、通算で当選16回、在任期間は実に34年10か月を記録しています。
この間に、刈谷田川の改修、刈谷田川大堰の完成、大河津分水路の建設など、故郷・中之島の治水事業に尽力されました。
明治29年(1894年)に発生した「横田切れ」と言われる信濃川大洪水を大河津分水路建設のきっかけととらえ、貫一先生は政治を動かして、1,000万人にも及ぶ人手と20年近くの年月をかけた「東洋一の大土木工事」が行われ、昭和6年(1931年)に完成すると、越後平野で頻繁に発生していた水害がなくなり、現在の美しい田んぼが広がる穀倉地帯となり、分水路の大きな恩恵を受けています。
また、貫一先生が最も力を入れた政治活動の一つに普通選挙権獲得運動があります。大正14年(1925年)までは、選挙権を持っている人は金持ちで一定額以上の納税者に限られていましたが、貫一先生が一生懸命活動したことが大きなきっかけとなり、ついに大正14年(1925年)に選挙法が改正され、納税額に関係なく25歳以上の男子に選挙権が与えられました。
常に国民大衆の先頭に立って活躍された貫一先生は、昭和19年(1944年)9月、85歳で、中之島の自宅で逝去されました。

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記念館内には大竹家に関する資料や貫一先生が関わった政治活動の資料、そして生涯の同志からの書なども展示されています。

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また、大竹貫一先生の銅像が建立されているこちらの庭園は、「新潟県景勝百選」に選ばれ、庭全体に植えられた樹木は種類が豊富で春夏秋冬、季節に合わせて姿を変え、来館者の心を和ませてくれます。

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【記念館の開館日時】
毎月第1・第3金曜日と第2日曜日の10時~15時
※開館日以外は、中之島支所地域振興課(電話0258-61-2010)へご連絡ください。
※庭園は、いつでも自由に見学可能です。
※庭園、館内は見学無料です。

大竹邸記念館のサイト(長岡市ホームページ内)

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