13.楽山苑(らくざんえん)
楽山苑のメインとなる建物である「楽山亭」は明治25年(1982年)に三輪家の11代当主、三輪順太郎により建てられました。三輪家の祖先は越中(現在の富山県)の豪士でしたが、加賀前田家との戦に敗れ、その後長岡に移り住んだ際に大坂屋で働き、主人に認められ、与板に暖簾分けされたと伝えられています。江戸時代は信濃川の河川交通を利用して商売を行い、米や塩、海産物を京都や大阪で販売し、帰りの荷物で反物(着物の素材で筒状に巻かれたもの)、薬、書籍等を運び、回船業や金貨等の商いで越後屈指の豪商となりました。
簡素な中にもきめ細やかな仕掛けと匠の技が凝らされ、客人をもてなす様々な趣向にあふれた「楽山亭」は今も地域の人達から親しみを込めて「べっそう」と呼ばれています。
また、苑内には三輪家と親交の深かった良寛の歌碑が2基建立され、現在、北方文化博物館(新潟市)に移築された茶室を復元した「積翠庵」があります。
そのほかにも室町時代の作と伝えられている十一面観音菩薩像が安置されている「観音堂」があります。
「六方組み」石垣
何気なく見える石垣ですが、1個の石に注目すると、その石は必ず6個の石に囲まれている、堅固な「六方組み」技法で築かれています。耐震性にもすぐれ、昭和39年(1964年)の新潟地震(マグニチュード7.5)の時でさえ、この石垣が崩れることはありませんでした。
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簡素な中にもきめ細やかな仕掛けと匠の技が凝らされ、客人をもてなす様々な趣向にあふれた「楽山亭」は今も地域の人達から親しみを込めて「べっそう」と呼ばれています。
また、苑内には三輪家と親交の深かった良寛の歌碑が2基建立され、現在、北方文化博物館(新潟市)に移築された茶室を復元した「積翠庵」があります。
そのほかにも室町時代の作と伝えられている十一面観音菩薩像が安置されている「観音堂」があります。
「六方組み」石垣
何気なく見える石垣ですが、1個の石に注目すると、その石は必ず6個の石に囲まれている、堅固な「六方組み」技法で築かれています。耐震性にもすぐれ、昭和39年(1964年)の新潟地震(マグニチュード7.5)の時でさえ、この石垣が崩れることはありませんでした。
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