17.もみじ園
こちらのもみじ園は、明治29年(1896年)頃に神谷の大地主、高橋家の別荘の庭園としてつくられたものです。
約4,000平方メートルの敷地内には、樹齢150~200年のもみじや山桜、カエデ類、ツツジなどが植えられています。
最も多く植えられている「イロハカエデ」は、福島県から九州地方の太平洋側に野生するもみじの一種で、高橋家が事業を行っていた京都から優れた品種を移植したものです。
平成元年(1989年)に旧越路町が寄贈を受け、現在は長岡市が管理をしています。
巴ヶ丘山荘(国登録有形文化財)
〇山荘は何を見ようとしたのか
旧高橋家では、朝日の丘から自宅のある神谷集落を見たかったのではないでしょうか。
現在は来迎寺の街並みや高速道路でその姿を確認できなくなっていますが、明治大正時代(1868年~1926年)の頃は越後平野に浮かぶ神谷集落がくっきりと確認できたものと思います。
〇雁行型(がんこうがた)と廊下
木々の間から見えてくる母屋(おもや)は、東棟(ひがしむね)と西棟(にしむね)からなる寄棟(よせむね)造り平屋の建築物で、前後にずれて並ぶ形式「雁行形」といわれるものです。
この建築様式は、庭園などを眺望するために重宝される平面形式で、桂離宮や二条城二の丸など、京都の有名な建物もこの形式を採用しています。
〇山荘はいつ、どのように建てられたのか
明確な建築年代は不明ですが、建築部材などから、明治29年~30年(1896年~1897年)にかけて建築されたものと推測されています。
〇茶室で何をするのか
「一期一会(いちごいちえ)」を実践したものと思われます。
時代は北越鉄道(現JR信越本線)開通間近の頃、東京からのお客様をもてなすところとして建築されたと思われます。
もみじ園ホームページ(長岡市ホームページ内)
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約4,000平方メートルの敷地内には、樹齢150~200年のもみじや山桜、カエデ類、ツツジなどが植えられています。
最も多く植えられている「イロハカエデ」は、福島県から九州地方の太平洋側に野生するもみじの一種で、高橋家が事業を行っていた京都から優れた品種を移植したものです。
平成元年(1989年)に旧越路町が寄贈を受け、現在は長岡市が管理をしています。
巴ヶ丘山荘(国登録有形文化財)
〇山荘は何を見ようとしたのか
旧高橋家では、朝日の丘から自宅のある神谷集落を見たかったのではないでしょうか。
現在は来迎寺の街並みや高速道路でその姿を確認できなくなっていますが、明治大正時代(1868年~1926年)の頃は越後平野に浮かぶ神谷集落がくっきりと確認できたものと思います。
〇雁行型(がんこうがた)と廊下
木々の間から見えてくる母屋(おもや)は、東棟(ひがしむね)と西棟(にしむね)からなる寄棟(よせむね)造り平屋の建築物で、前後にずれて並ぶ形式「雁行形」といわれるものです。
この建築様式は、庭園などを眺望するために重宝される平面形式で、桂離宮や二条城二の丸など、京都の有名な建物もこの形式を採用しています。
〇山荘はいつ、どのように建てられたのか
明確な建築年代は不明ですが、建築部材などから、明治29年~30年(1896年~1897年)にかけて建築されたものと推測されています。
〇茶室で何をするのか
「一期一会(いちごいちえ)」を実践したものと思われます。
時代は北越鉄道(現JR信越本線)開通間近の頃、東京からのお客様をもてなすところとして建築されたと思われます。
もみじ園ホームページ(長岡市ホームページ内)
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