9.長谷川邸
武士の出身といわれる長谷川家が、塚野山に居を構えたのは江戸時代の初め頃です。以来山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきました。幕末から明治にかけては近郊4か村の耕地や山林の7割を独占し、180町歩余の田から4000俵もの小作料をあげた豪農です。
敷地は街道に面した間口約70メートル、奥行120メートルと広大な物で、周囲に濠をめぐらせているのが特徴です。主屋は宝永3年(1706)の大火で類焼し、享保元年(1716)に再建されたと伝えられています。邸内には県内最古の豪農の館であることを示す建築様式が随所にみられます。
なお、長谷川家収蔵品展示室では、谷文晁、奥原晴湖などの長谷川家に伝わる書画や調度品などが展示されています。
〈長谷川邸(主屋)の見どころ〉
建物の平面形が鍵の手のようになっており、屋根の形が複雑で、庇(下屋)が屋根よりかなり出ているのが特徴。長谷川邸は、県内でも屈指の豪雪地に建っていますが、実は、これは豪雪地に適さない造りです。建物が四角に近く、平面積が小さく、屋根の形が単純で庇がない方が、屋根に積もった雪の処理が楽なので、雪国の建築は、建物や屋根の形が単純です(例えば、魚沼市の目黒家住宅)。しかし、長谷川邸の場合、雪が少ない平野部の建物のような、のびやかな外観(正面観)をもっています。実際、旧味方村(現新潟市南区)・旧笹川家住宅主屋のモデルになっており、平野でも通用する建物のデザインです。屋根も広く(大きく)、茅葺屋根としては全国でも有数です。
外観(屋根)の複雑さ一転、内部は至ってシンプルです。土間・板の間・畳の間という、用途と格式の違う空間を縦に配置します。畳の間にのみ天井が貼られ、外には天井がありません。天井と床材、そして段差によって、部屋の格式の違い、部屋を使用できる人の身分が視覚化されています。ここまでわかりやすい例は全国でも珍しいと思います。
また、雪に適さない建物の外観形状を補うかのように、柱を密に配置しています。屋根の土間や板の間から見える屋根裏の骨組みも非常に細かく、雪の重さに耐えるように作られています。ここには派手な造りや装飾はありませんが、重厚な機能美もみどころの一つです。
外観ののびやかさと、内面の豪壮な造りとの調和が、長谷川邸主屋の特徴と言えるかもしれません。庭のコケや、萩などの四季折々の花なども見どころです。
(詳細情報は下記をご覧ください)
●長岡市ホームページ
●な!ナガオカ(長谷川邸取材記事)
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