5.長岡まつりと長岡大花火大会(アオーレ長岡シアター) | QR Translator



5.長岡まつりと長岡大花火大会(アオーレ長岡シアター)


アオーレシアター.jpg

長岡まつりのはじまり

 昭和20年(1945年)8月1日午後10時30分。長岡の市街地にB29大型衝撃機が来襲しました。爆撃は1時間40分間にもわたり、市街地の約8割が焼きつくされ、燃え盛る炎の中に1,488名の尊い命が失われました。
長岡空襲から1年後の昭和21年(1946年)8月1日に開催されたのが、長岡まつりの前身の「長岡復興祭」です。この祭りは長岡市民の心を慰め、まちを復興へと奮起するものとなり、これが「長岡まつり」と名前を変えて現在に至っています。

歴史と伝統の長岡花火

 長岡の花火大会は、明治12年(1879年)、長岡の千手町八幡様の祭りで350発の花火を打ち上げたのが始まりとされています。その後、長岡花火の技術の向上や新しい花火の開発が進み、大正6年(1917年)には二尺玉、大正15年(1926年)には正三尺玉が登場。昭和の初期(1930年頃)には長岡花火は全国に広く知られるようになりました。しかし、太平洋戦争が始まると花火大会は中止に。
 そして、花火大会は昭和22年(1947年)の「長岡復興祭」で空襲の犠牲者への慰霊と復興に立ち上がる人々を勇気づけるために復活。昭和26年(1951年)には「長岡まつり」と名称を改め、正三尺玉の打ち上げを復活しました。
 長岡花火には長岡空襲で亡くなった方への慰霊、復興に尽力された先人への感謝、恒久平和への願いなど、長岡市民の特別な想いが込められています。

慰霊と平和への願い

 長岡市では、8月1日は、長岡空襲で犠牲になられた方々を悼み、戦争の記憶を風化させることなく、平和の尊さを次代に伝え、広く世界に向けて発信する「恒久平和の日」。
 この願いを込めた行事を市内各所で行っています。
 長岡まつりを華やかにスタートする1日の「前夜祭」は、2018年(平成30年)から「平和祭」へと名称を変更し、市民の恒久平和への願いを伝えていきます。

アオーレ長岡シアター

 JR長岡駅から徒歩約3分の「アオーレ長岡(長岡市役所)」の1階に、最新の3D映像で花火を体験できる「アオーレ長岡シアター」があります。240インチの大迫力のスクリーンに長岡花火の映像が映し出されます。
 入場無料となっていますので、お気軽にお越しください。


トップページへ