1.機那サフラン酒/初代 吉澤仁太郎/鏝絵(こてえ)について | QR Translator



1.機那サフラン酒/初代 吉澤仁太郎/鏝絵(こてえ)について


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 機那サフラン酒 
 茶褐色のビンの蓋を開けるとサフランの香りが上品に漂い、色は褐色より少し赤い色をしています。
 味はサフランのほか、はちみつや丁子(ちょうじ)、カンゾウの味もしますが、全体としてすっきりとさわやかな飲み口です。
 現代では高価なスパイスとして知られているサフランが日本に入ってきたのは江戸時代末期です。鎮静・鎮痛剤、芳香薬、風邪薬にもなり、婦人病にも効果があり、染料としても使えるということでやがて栽培が始まりました。クロッカスに似た花を咲かせ、その「めしべ」だけを使います。
 名前の由来については文献等に残されていないため推測するしかないのですが、「機那(きな)」というのは、キナ(規那)という木の名前であろうと思われます。この木の樹皮から抽出された薬はキニーネといい、マラリアの特効薬だったそうです。(現在の機那サフラン酒には入っていません)



 
 初代 吉澤仁太郎氏について

 仁太郎氏は1863年に農家の次男として生まれました。26歳の時に家を飛び出し、摂田屋で独立して家で代々伝わってきたサフラン酒を竹筒に入れて売り出したといわれています。
 やがて山形、秋田、青森、北海道へと日本海航路に沿って販路を広げ、昭和初期(1930年頃)にはハワイまで進出し、同じ薬用酒である「養命酒」と人気を二分するほどになりました。
 並行して越後の土地を多く買って大地主の仲間入りを果たしましたが、1941年、庭の手入れをしていた時に刺したトゲから菌が入り亡くなったと言われています。78年の生涯でした。
 母屋の左手には日本式庭園が広がり、その奥には巨大なケヤキから出来た板を使った長い廊下と約18メートルにも及ぶ1本ものの梁が見事な離れがあります。かつて若き日の田中角栄も挨拶に訪れたり、そのほかの著名人たちもこの屋敷を見て、わざわざ車を降りて見物に来ていたそうです。


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 鏝絵(こてえ)について

 鏝絵とは、民家の母屋や土蔵の壁、戸袋などに「龍」や「恵比寿」、「大黒」などを漆喰でレリーフしたもので、江戸時代末期(1850年頃)に入江長八(伊豆の長八)によって作られたのが起源といわれています。
 入江長八が江戸日本橋茅場町の薬師堂建立にあたり、柱に漆喰で龍を彫刻したことで有名になり、明治時代にその弟子たちや多くの左官によって全国に広まりました。
 この機那サフラン酒製造本舗土蔵の鏝絵は、近所に暮らしていた出入りの左官職人である河上伊吉が手掛けました。色漆喰を用いて「鏝(こて)」で漆喰の壁や扉に十二支をはじめとする14種の動物、霊獣、9種の植物を極彩色で描き出しています。
 この鏝絵が機那サフラン酒本舗の大広告棟でもあり、「日本一の鏝絵蔵」と讃えられるほどです。
 2006年の11月に国の登録有形文化財に認定されました。


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